筋トレ 65分間(スクワット+ふくらはぎトレーニング with 4kgパワーアンクル)と肋間神経痛とPositively False


筋トレ 65分間(スクワット+ふくらはぎトレーニング with 4kgパワーアンクル)



ドイツ在住のトルコ人を描いた地味ではげしい恋愛映画を観ながらのスクワット。妙ちくりんな気分だった。



直前に食べたもの

野菜鍋

カフェオレ

VAAMゼリー



体重と体脂肪率

体重 58.1kg

体脂肪率 7.9%

筋肉率 38.1%



まあだかい―内田百けん集成〈10〉 ちくま文庫
まあだかい―内田百けん集成〈10〉 ちくま文庫



内田百聞の「まあだかい」の作中に、肋間神経痛に近い症状を見つけた。肋間神経痛の方であれば「あーそうそう」と首肯して頂けるであろう箇所が散見できたので、少し長くなるけど引かせてもらう。




発作の名前はタヒカルジイと云うのだそうだが、人によっていくらか違うかも知れないけど、私の場合は脈拍が一分間に百八十乃至二百ぐらいになる。(中略)発作はすぐなおる事もあるし、暫らく続くこともある。



(中略)一番長かったのは三十六時間続いた。お医者のところへ行ったきりで帰ることができない。泊めてもらって二日目の朝になって、二階の窓から外を見ると、往来を隔てた向こうの家の屋根に若い男が上がって何かしている。



屋根職かしらと思って、身体を曲げて、そっちを見ようとしたら、その拍子に胸のところから何だかぽんと抜けて発作がなおった。(中略)なおったと思ったときのうれしさは言葉に尽くせない。今までは百八十も二百も博って脈が一挙に八十幾つくらいに減って落ちついてくる。



尤もそれまでの脈の数が減って、残りが八十幾つ博っていると云うのではなくて、百八十乃至二百で続いていた脈拍は発作がなおった途端にどこかへ行ってしまって、それとは違う別の脈が八十ぐらい博ちだしたという気がする。



胸筋が何かの拍子に神経を圧迫し緊張すると、それがために胸部が充分に拡がらず、呼吸動作が不十分で吸気量が不足し、少し運動しても酸素の薄い血液が循環するため、血液が多量に必要になり心拍数が増し、呼吸が速くなる。そうすると血圧上昇、動悸息切れなどが生じてしまう(参照:新編臨床家のための連動操体法)。



その後、これまたなにかの拍子に「胸のところからなんだかぽんと抜けて」発作がなおるのだ。「ぽんと抜ける」とはまことに正鵠を射た表現で、自分も前回前々回となおったときはそんな感じだった。今回はまだその感じには至ってない。



悪化させないことはもちろん、改善するよう、できるだけのことはやって「ぽん」となるのを待つ以外に有効な手だてがないことが分かった。



人は大抵のことは分かる、ないし分かりたいと思っている。それができないと必要以上におびえ身構えてしまう。肋間神経痛は「よくわからない」のだ。宇宙の成り立ちや時間はどこで生まれたか(宇宙と時間と肋間神経痛を並列させていいものかはおいといて)、などと同じように肋間神経痛は「よくわからない」カテゴリに内包されるものだ。



もっと言えば「1+1=2」であることは分かっている。そういうことを「分かる」という。つまり完全に真であることのみを「分かる」とすれば、肋間神経痛が属する「よくわからない」カテゴリは「分からない」と断じてしまっていいわけだ。



そう、肋間神経痛は「真ではなく偽」で提示されるべき命題なのだ。命題が真であると思うから答えが出ず不必要に苦しむことになる。



「真ではなく偽である」ことは命題の提示のされかたのひとつでしかない。これでシンプルになったわけだ。言葉を置き換えれば「分からないこと(真ではなく偽であること)が分かる」のであって、これは「分かる」ことになる。要するに、分からないということが分かってホッとしている、そう言いたかったのだ。



ほとんどの物事は真ではなく偽ではじまる、そう思えば案外気楽に生活ができるのではないか、そんなことをついでに思ったりした。 



もう一冊参考というか、読んで元気になった本がある。



Floyd Landis の Positively False から



Positively False
Positively False




We read in cycling magazines that to get in shape you should do intervals. If the magazine recommended eight intervals, two minutes hard, one minutes easy, then we'd do fifteen of them, five minutes hard one minutes easy. We thought rest was a waste of time.



草レースに出場しはじめのころ、まだ10代前半のランディスインターバルトレーニングを取り入れたときの下り。



サイクリングマガジン推奨メニューと比較するとランディス独自のメニューは、



練習量:1.9倍

もがき時間:2.5倍

休憩時間:2分の1



となっている。「のんびりなんかやってらんないよ!」という意気軒昂な少年期の様子が伝わってくる。貧乏に負けず、3万円で購入したボロボロの MTB に修理に修理をかさね、レースで勝ち続けるランディス。両親が信仰する宗教へ向けられる懐疑的まなざし。そんな自分に対する自己嫌悪、ランディスのすべてが語られている。



この本を読みつつ2006年ツール・ド・フランス、第17ステージの奇跡を観ると感慨もひとしおである。もちろん、いろいろあったことは周知の事実だけれど、そこだけに焦点を合わせるのではなく、バックグラウンドもみて自分なりのランディス像を今一度つかみなおしてもらいたい。



ボリュームは厚めだけれど、それほど難しい表現は見あたらず(動詞はどこいったよ?というようなことは再三見受けられるが)、そこそこ自転車(とくにツール・ド・フランス)に通じてる人で、ふだんから英文に親しんでいる人であればサクサク読めてしまうハズ。



自分がとても好きな下りを引用。自転車に限らず、何らかの大会やらに出場する(いや、出場してしまうか)人であれば琴線に触れるものを感じ取れるのではなかろうか。




A funny thing happened when I got on my bike.It was like therapy for me. As I worked the cranks around and around, I felt like I was emptying my uncertainly through the pedals. Being on a bike was the one time in my life when everything felt unquestionably right.

この文章の前段には、考えなくてはならないことが山積で気がおかしくなりそうだった、との記述がある。それだけに最後の unquestionably right で泣きそうになった。是非ご一読を。